襷インタヴュー | 吉岡照明さん・下見正義さん「ライフジャケットのおかげで助かったと確信を持って言える」
山と海に囲まれた坂の町、広島の尾道にある浦島漁港では、
2010年にライフジャケットによって2人のいのちが助かりました。
ライフジャケットを着ていた背景には、ライフガードレディース(LGL)の活躍もあり、
下見さんと吉岡さんに、それぞれ別の船で起きた落水時の体験を伺いました。
ー まずは下見さん、当時の様子を教えてください。
下見さん:もう6年も前やで。
百島(ももしま)という島に役員さんがいて、
その方へ網にかかった魚を持って行こうと思って、船で出たわけじゃ。
(航海中)沖にバケツがポーンと飛んで
そのバケツを取りに行こうと思って
ハンドルを離したまま行ったら
ゴーンと舵がきれてな、
その勢いで反対側へ飛び込んだわけじゃ。
船外機の40馬力がついていて、ハンドルを離すと舵がきかなくなって、クルクル船が回るようになる
その反動で飛び込んだ。
その時ライフジャケットを着けとっちゃったけ。
陸まで泳げないけ、沖の船に掴まろうと思ってな
(湾に係留された)船まで泳いでいったわけじゃ。
下見さんはこの錨泊している台船の錨鎖につかまって40分間水に浸かっていた
下見さん:泳いでいても、波が口の中に入るわけ。
せやから背泳ぎだったら泳げた。
そしたら、マリーナがグルグル回っている船を見つけてくれて
おかしいと思って、保安庁に電話してくれんじゃな。
そしたら保安庁からヘリコプターが来て
発煙筒をボッコーンと落としてくれたわけじゃ。
発煙筒が3mから4mあがって、保安庁の船が来たわけじゃ。
ー 船には戻れる状況じゃなかった?
下見さん:振り回されて落ちたんじゃけど、
戻ろうかと思ったけど、全速で回るんじゃけ。
これは行けんわと。
ー そもそも、浦島漁港ではライフジャケットを着ようということになっていたんですか?
下見さん:着ようことになっていた。
吉岡さん:ライフジャケット100%を推奨しようとしてました。
その当時ね。
下見さん:前だったら着てなかったけど、この頃は絶対着て行きよる。
吉岡さん:前はね、本当30%くらいしか着用してなかったんですよ。
女性部がライフジャケットの着用をみなさんに声かけて
「ライフジャケットを着けてください」という運動の最中じゃったんよね。
(下見さんの)奥さんも役員ですから、
ちゃんと着けて海に出られておったというわけですよね。
ー 下見さんは奥さんの活動もあって
下見さん:それは、あるな。
ー それまでは?
下見さん:着ていなかった。
吉岡さん:それまではほとんどの方が着けていない状態で、
その前に亡くなった方もおったよね。
同じ組合員さんで、朝なまこを取りに行って
玄関のところに(ライフジャケット)が置いてあるんですよ、
起きるのが遅かったもんですから、たまたま慌ててこれを持たずに出て
帰りに海に転落してそのまま亡くなった。
それが我々の1ヶ月か2ヶ月前にありまして、
運動を強化しようと思ったんですよね。
ー 実際、ライフジャケットを着ていなかったら?
下見さん:危ないかわかんないな(笑)。
ー それまではライフジャケットを着ていなかったわけですよね?
下見さん:沖行くときは着よったけど、近くの時はな。
この頃は、この辺のみんな着ているな。
吉岡さん:最近はよくなってきていますが、
それでもあそこ(他の組合)でも、ライフジャケットを着ていないで亡くなったし、
今年だったか、隣の組合でも着けてなくって亡くなったんです。
だからライフジャケットを着ていない方は
ほとんどというくらいに亡くなっている。
下見さん:冬はこれを着て、夏は暑くない膨らむものしている。
ー その時は 固型式?
下見さん:そうだったな。
ー 海水の温度は?
下見さん:5月の8日だったじゃけな。
お昼の13時半だったけな。
5月でもガタガタ震えてな。
吉岡さん:あの頃寒かったもんね。
4、5月いうても寒いときはあるもんね。
で、その日も海が荒れとったよね。
ー その時、携帯電話は?
下見さん:持ってとたけど、かけられんよな、濡れたら(笑)。
ー ライフジャケットで助かった経験からその後も
下見さん:ずっと着る。
吉岡さん:その後も近くの組合の方が1人亡くなって、
海苔かなんかで海へ出て転落してこれ(ライフジャケット)を着てなかったから
亡くなったんです。
それから他の場所でも、
組合長が「今日はしけとるけ、ライフジャケット着けないけんじゃろ」
と言うたらしんですよ。
それを無視してその日に亡くなった。
必ず船にライフジャケットを積んでおりますから
ただ着さえすればいいやつを。
ー 吉岡さんもライフジャケットで助かった経験があるようで、
当時の様子を教えてください。
吉岡さん:これは、当時、着用していたライフジャケットです。
時候でいうと4月だったと思うんですね、三原へ佐木島(さぎしま)という島があるんですが、
そこがアサリの養殖をはじめたいということで
うち(浦島漁港)があさりが主なので
「あさりの支度をしてください」ということで
あさりの支度をしておいて
それを三原の組合長さんが取りに来たんですね。
その船に一緒に乗って佐木島のほうで地域の方が出られていたんで
アサリのまく方法だとか、編みかけとか色々お話させていただいて
それで組合長が「あなたも、忙しいんじゃけ」ということで
途中で私を三原港まで送ってくれるということで
乗船をして、そして三原港へ行く間に途中でものすごい衝撃を受けたんよね。
「ドーン!」っというような、
船長は前を向いている、私は後ろを向いていよったもんですから
タイヤの大きいのか、材木かと思ったんです。
吉岡さんは当時、下見さんの船の3倍ほどの大きさの船に乗っていた
最終的には、岩礁へぶつけとったらしいんじゃけど、底を。
それからどんどんどんどん船が浸水をはじめたんですね。
水をポンプでかえるとやったけど、ポンプでかえるよりも入るほうが。
舵の根元に穴が、それから水が来よった。
じっくりと後ろへ下がりだして
「これは危ないかもわからんけ、前へ行こう」と
二人で前に行った。
だいぶ後ろが下がったなと思ったらクラっと(船が)返ったんですね。
あっという間に海へ投げ出されて
返るという意識がない、返るという意識があればなんか手立てをしておくんですけど
絶対、船は返らんと思っておったもんですからね。
下がったのがクラっと返って投げ出されたんですよね。
かなり深いところまで落ち込んで
0. 何秒か何秒かわからんですけど、いろんなことが頭の中で、
こりゃダメかなとかいろんなことを考えたですね。
落ちたと思ったら上へ、ライフジャケットのおかげで急浮上。
当時かぶっていた帽子と着ていたライフジャケットを大切に保存している
浮上したんです。
運よく船の中でなしに、外側のへりに掴まれて
掴まっておったのを三原の組合長が向こう側からあがってきて
それで手を引っ張ってくれて、最初はダメだったんで
「船べりで待つ」と言うたら
それじゃ大変じゃから、もう1回やってみようということで
もう1回手を差し伸べてくれたので
満身の力を込めてやったらあがれたんですよね。
で、救助を待ったんですね。
組合長の弟さんが漁場から帰られおって
携帯ですぐに来てもらって
それから後に保安庁さんが来られて、という形ですね。
ライフジャケットのおかげで絶対助かったと
確信を持って言えるね。
ー もし船に一人だったらどうだった?
吉岡さん:そうですね、一人だったら携帯もダメだし、
助けてもらいようがないわな。
で、船が浸水しよる時は隣に大きな船が通ったんですよ。
「助けてくれ」と言って手を振ったんですけど、
ちらりとは見ちゃったけど
面倒には関わりたくないと思ったのか
中型の貨物船はヒューと通ってしもうて。
海の人はもっと連携があるかと思ったら
漁師にあまりいい気持ちをもってないかもしれないんですね。
貨物船の邪魔になったりすることがあるもんですから。
通られてしまって。
いつもだったらいっぱい船が通るのに
その後は案外通らないもんですね。船が沈みかけしよるのに。
まーライフジャケットのおかげで本当助かった。
ー 漁港さんでのライフジャケットの着用率を高めるにはどうしたらいいんですか?
吉岡さん:ご夫婦でおられる方が漁師さんは多いので
うちは女性部がライフジャケットの推進運動をやっております。
家族ぐるみの運動です。
それから必ず1年に1回保安部さんに総会に来ていただいて
ライフジャケットの操作や、新しいライフジャケットの紹介だとか
研修を受けているんですよ。
ー 家族の存在もあって着るということですね
吉岡さん:普通ですと一過性になりますけど、うちの組合は続いているよね。
保安庁さんから「さすが、組合長、お宅の組合員は100%着けていますね」
と褒めてもらったこともあります。
ー 一過性ではない理由に、組合長さんの体験や想いがあるのでは?
吉岡さん:私が発見したわけでなくても
保安庁さんが「お宅の組合員さんかどうか確認してください」と、
亡くなっている方の顔を最初に見ているから
これ(ライフジャケット)に対しては執念を燃やしているんです。